
“One World バトンリレー”は『被災地の復興支援』として企画されたイベントです。
昨年では、日本全国に22本の「愛のバトン」を巡らせて、多くの人々が被災地に声援を送れる支援手法を導入して実行委員会が発足しました。
事 前登録を済ませた「オフィシャルBERTY」と呼ばれる人々が職場や学校に「愛のバトン」を携えて訪れてバトンリレーを行い、口々に応援メッセージ述べ、 集合写真を撮影してSNS(主にフェイスブックやブログ、ツイッター)に掲載することで、被災地の人々に暖かい声援を送り続けました。
「想いを言葉に、言葉を行動に」と、カタチに表すことの大事さを伝えながらバトンリレーを行い、「愛のバトン」を携えるライダーたち自らも走行距離に比例する募金を行いました。
誰もが手軽に参加できて、被災地に暖かい声援を送り届ける“One World バトンリレー”のニュースは全国各地の新聞、雑誌、TVメディアに取り上げられました。
緊急支援システム http://sportsrescue.net/?p=555
昨年の1月17日阪神淡路大震災の記念日に、福岡賢二と腰山峰子の二人のライダーが「愛のバトン」を携えてHAT神戸をスタートしました。
BERTのホームページに記載されている記録だけでも、合計600回バトンリレーが開催され、5038名の手に愛のバトンが渡り、合計走行距離 131.994.25kmを巡り、609865円の募金が集まりました。
二輪でパリダカールラリーに出場経験を持つエッセイストの三好礼子さんも参加。
12月の時点で募金総額135万円が被災三県に届けられたことから、未記入の活動があり参加者合計は8千人を超えるであろうと想定されます。
ナンバーリングされたそれぞれの「バトンの軌跡」が地図上に表示されていて、どのバトンが、いつ何処で、誰が移動し、何名の人々が被災地にメッセージを送り届けたかを、web 上で随時視認できるシステムを構築しています。
「バトンの軌跡」を表すソフトは、神戸情報大学院大学に、BERTプロジェクトが設けられていて、別所昂央君が中心となり学生たちが制作を行っています。
2012年末現在では、全国を10箇所に分布した活動ブロックが出来上がり、100名近い登録メンバーはSNSのフェイスブックを通じて、互いの活動報告や連携活動が把握できるよう、既存のSNSの仕組みをフルに活用したコミュニケーションシステムを構築しています。
来る災害時には、ここで築かれたネットワークシステムが有意義な働きを成し、避難困難者を支えるための、民間人の連携プレーシステム構築の礎となることを想定した「実験場」だとも考えられる。事実このイベントに参加した多くの人々は、この活動が始まる以前には全く面識のなかった人々が大半である。被災地を応援したい、ニッポンを元気づけたい、そのような共通の理念と目的のために集まってきた人々だと言えます。
これらのBERTの趣旨に賛同した木村東吉(マガジンハウスで著名となったモデルでアウトドアの達人)さんは、“わらーちプロジェクト”を発足、10月30日河口湖の自宅を数名の仲間で出発しました。
この500kmランニングでは「愛のバトン」を携えて、自らが長距離を走ることで被災地を応援する過酷な旅を決行しました。
道中、メディアを通じて多くのランナーに「ランニング募金」を呼びかけながら、毎日30~40kmを走り続け、ゴール地点の神戸市役所の南側に位置する、阪神淡路大震災のメモリアル碑「希望の灯」前で、神戸市の危機管理監、神戸市職員、兵庫県防災センターの職員、BERT理事達に暖かく迎えられ、11月16日無事に神戸に到着しました。
“One World バトンリレー”の実行委員会は毎年、順繰りに実行委員長を選出して、互いの経験値を共有するように構築しています。2012年の初年度の実行委員長は関東グループの高木康雄、副委員長には関西グループの山本秀光が担当した。2013年の実行委員長は九州グループの宗岡裕之が担当し、前任の二人がサポート役に就任している。
海外拠点の窓口となる、BERT International の国内拠点は、神戸情報大学院大学の中に設置されています。
The project which Japanese motorbike riders relay a town in order from a town, connect “the baton of love”, and goes around Japan was planned.
The beginning of this project is invented in order to send a yell to people of the stricken area exhausted in the great earthquake. Somehow, possibility of Japan began to be visible.