《 チェリノブイリの今昔 》
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《 チェリノブイリの今昔 》_01

米ソ対立時代にこの原発事故は起きた。

一説には、急速停止の臨界テストをパーフォーマンスで行なった、その結果が大惨事を招いたと、リアルで現実味を帯びたストーリーで囁かれている。

もし本当ならば、地球規模の取り返しの付かない、パーフォーマンスだったと、世界史に刻み込まれることになる。

私は今年、ウクライナ政府の招待を受けて、現地に明るい人脈を持つ友人と一緒に、巨大シェルター建設中の現地を訪ね、放射性物質廃棄部門の社長と、原発事故後の所長たちから多くの情報を提供して貰うことが出来た。

彼らウクライナの人々は、日本がウクライナと同等規模の問題を抱えていることを憂い、解決方法を考えてくれた。

この様な放射性物質の問題はとくに、国を超えて情報を共有することは容易くない。

互いの国家の利益、不利益が折り重なる状態で犇めき合っているからだ。

だが民間団体だからこそ拘束されることなく出来る活動がある。

BERTが橋渡しをすることで、問題を抱え苦しむ市民の人々が、1日でも早く、安心して暮らせる日が訪れるならば、私たちの日頃の苦労も報われる。

道は遠い、遠いけれど、立ち止まらず、歩み続けなければ、目的地に達することは出来ない。

出来ることは嫌がらず何でもやる。

それは被災地での働きに似た精神だ。

片山敬済

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